(36) AIと雇用 ― レイオフなき雇用喪失
AIは人間の仕事を奪っているか
最近のAIの進化には目覚ましいものがありますが、米国の各種調査によれば、今のところAIの雇用全体に対する大きな影響は見られてないようです。しかしそれがこれからも続く保証はありませんし、AIによって顕在化していない問題が起きているかも知れません。今回はAIが雇用や仕事に与える影響を考えてみます。
二つの相反する見方
AIの脅威についてメディアが伝える論調は必ずしも足並みがそろっているとは言えません。AIが人間を急速に置き換えている、ホワイトカラーの職種は危機に立たされている、だから電気や水道工事、ケアワークなどの資格をとって来るべき失業時代に備えるべきだ、という人から、今のAI脅威論はハイプに過ぎない、AIによって新しい仕事が生まれ、むしろ雇用機会の全体数は増える、という人もいます。どちらの意見もそのままでは経営者にとって有益なものとは言えないでしょう。AIの具体的なインパクトを年齢別・職種別に見る必要があります。
雇用は減っていない、むしろ増加している
現在、米国を含む主要先進国において失業率は過去最低レベルにあります。しかしこれはAIのインパクトを見るための数値としては不十分です。AIの影響は若年労働者の雇い控えに現れています。スタンフォード大学の研究者たちが、米国最大手の給与計算サービスであるADPのデータを分析したところ、2022年から2025年の間に、AIで代替可能な職種において22歳から25歳の就業者数は6%減少したのに対し、35歳から49歳では8%増加していました。
AIを理由として大規模レイオフを実施した巨大テック企業があるのは事実ですが、それは一部に過ぎません。労働市場全体で起こっているのはレイオフの増加ではなく若手採用の抑制です。なぜでしょうか。
AIが人間を置き換えるケース・置き換えないケース
米国には日本のような新卒一括採用の慣行がなく、多くの企業は即戦力となる経験者を求めます。それでも企業が新卒未経験者を採用してきたのは、彼らがデータ入力、資料ファイリング、議事録作成、市場調査、事務的な顧客対応といった補助的業務を低コストで担えたからです。
ところが、これらの業務はAIによる自動化が進んでいて、企業がそのために未経験者を採用する理由はなくなりつつあります
未経験者(若手)が就業機会を失いつつある一方で、AIから最大の便益を得ているのは、業界知見と個人的経験を蓄積した専門家です。そうした専門家が発揮する判断力、顧客との信頼関係、組織風土の知見などは、今のAIには置き換えられないものです。代わりにAIは専門家のために疲れを知らずに24時間補助的業務を提供します。専門家は未経験者を育成する代わりにAIをトレーニングし、AIと一緒になってますます付加価値を高めることができます。
静かに進行するリスク
若手の機会を奪い、経験者を有利にする——このようなAIの偏った影響は、すぐには見えないリスクを持っています。一つは健全な世代交代が難しくなることです。経験者はいつかは転職か退職をします。その時に交代要員の目途を付けておくことは事業継続性の観点から重要です。若手の経験機会が減って全体の交代要員のパイプラインが細っていくことは、原則的に経験者雇用しかしない多くの企業にとっても潜在的なリスクです。
より深刻な問題は、AIに頼ることで人間の能力が失われるのでは、という指摘です。AIが作ったものをレビューするだけになった人間は、自ら作る能力を失っていきます。作らなくなった人はやがてレビューの精度も落ち、重要な見落としにつながります。またAIに頼ることは効率を高める半面、独立して動けなくなることを意味します。個人の自由度や独立性が制限されるとイノベーションが生まれる機会が減るかも知れません。人間は目の前の便利さに惹かれて重要な能力を失ってしまうのではないでしょうか。
こうした指摘に対する解決策はまだありません。AIの進化と普及とともに全ての企業が試行錯誤していくものと思われます。経営者は効率と長期的な影響のバランスを取ってAI活用を進める必要があります。以下では経営者が今すぐに取るべき打ち手を考えてみます。
今必要な具体策
第一に、若手スタッフの役割をルーチン業務遂行から「専門家へのファストトラック」へ切り替えること。資料作成やデータ入力は経験を積むための下積み仕事とされてきましたが、それらは今ではAIが担います。代わりに、望ましいAIツールの使い方、業界特有の知識、顧客との関係構築などを学ぶ機会を増やし、専門家へ最短路線で育てる育成ロードマップを作ります。
第二に、ミドルマネジメントのリスキリングと再配置を計画的に進めること。業務プロセスの精綻化でキャリアを築いてきたミドル層はAI自動化の影響を受けやすく、彼らの意欲を掘り起こしAIを使いこなす側へ転換できるかが分かれ道になります。
第三に、AI時代にキーとなる経験者・専門家の定着策を先手を打って講じること。彼らの判断力や顧客関係はAIでは代替できず、市場での価値が高まります。報酬・処遇の見直しや知見の継承の仕組みを今のうちに整えておくことが、競合との人材争奪でのカギとなります。
考えたくない不都合な問題
今まで述べたように、職務経験の豊富な人材にとってAIは脅威ではなく機会と捉えられるようです。しかし、それは「AIはルーチン業務の自動化には役立つが人間の業務経験を超えることはない」という楽観的な仮定に基づいています。この仮定が崩れたき、影響を受けるのは若手ではありません。専門家の判断力を競争力の源泉としてきた企業や経営者です。
